Charlie Strossさんのblog記事が興味深かったので翻訳してみました。ご本人の許可をいただいたので公開します。(Thank you, Charlie-san!)


Amazonのebook戦略の意味

Charlie Stross著

(Japanese translation by Hisashi Morita. Published with permission from the author.)

先の議論では、Amazonがなぜそんなに出版業界にとって興味深いか(そして脅威であるか)を多くの人が理解しなかったように見える。

だから少し説明しよう。

Amazonは1994にJeff Bezosによって創業された。今日では世界最大のオンライン小売店になっている。

思うに、他のすべての大企業と同じく、Amazonをその幹部が言うことから判断することはできない。よくて戦略的プロパガンダ効果を狙った発言、悪くすれば非常に利己的で欺瞞的だからだ。彼らの目標を理解するには、むしろ彼らの拠って立つイデオロギーと、そして彼らの歩み——彼らが公正だとみなす行動——を検討する必要があるだろう。

まず、Amazonを理解するのに必要な3つのキーワードとその定義から始めよう。

中抜き

サプライチェーンにおいて中間業者を取り除くこと。「仲介人外し」。伝統的な流通チャネルにはなんらかの中間業者が居るが(流通業者や問屋や仲買人や代理人)、それを通す代わりに、企業は今では個々の顧客と直接やりとりをしてもよい(例えばインターネットを使って)。ここで重要な要因となるのは、顧客にサービスを提供する費用の低減である。

消費者側から始まる中抜きは、市場の透明性が高いことの結果であることがままある。市場の透明性が高いとは、買い手が製造業者から直接購入する際の供給価格を知っていることである。買い手は製造業者から直接購入して安くすませるために仲介者(卸や小売店)を迂回する。あるいは買い手は卸から購入してもよい。

インターネットは中抜きを非常に簡単にするので、本質的に従来の流通チャネルにとって破壊的な力として働く。これは今や明らかだろう。

Jeff Bezosはこのことを早い時期からはっきり分かっており、中抜きをする仕組みとしてAmazonを設計した。遠くの顧客に直接つながる手段としてインターネットを使い、卸として買って小売として売るのだ。当初Amazonは大きな倉庫に頼っていたが、データベースが大きくなるに伴い、ジャストインタイムの発注に移行した。マイナーな商品は販売中と表示しておいて、顧客からの注文があったときだけサプライヤに発注をかければよい。

(ここまではいいね。)

しかしAmazonについては、ほかにも2つ、理解の必要がある重要な側面がある。

まず、Bezosのベンチャーが書籍の商売を対象にしたことは偶然ではない。1994年時点の書籍販売は、小売のなかでも、進取の気性に欠け、非効率的で、古くさい分野として悪名高かった。それには構造的な理由がいくつかある。顧客が来店してくれることに依存している書店は、幅広い商品を在庫していなければならない。というのも、書籍は代替がきく商品ではないからだ。King James版の聖書は、Neal Stephensonの“REAMDE”やJames Bamfordの“Inside the Puzzle Palace: A History of NSA”の代わりにはならない。しかし本はかさばる。1メートル幅の書架に背が見えるように本を収めたら、棚1段で200冊くらいだろう。読者が読みたがりそうな本を全部1冊ずつ用意したら、非常に広い床面積が必要となる。大規模書店でも2-5万冊の書目を在庫する程度の広さしかない。対照的にAmazonのデータベースは、物理的な在庫を持たずに100万書目を在庫できるのだ。

さらに、2万冊の在庫を持つ大書店は、90-120日以内に本を販売するか傷めずに返品するかする必要がある。その分を誰かが払わなければならない。出版社から購入した卸か、出版社自身だ。(あるいは書店が買い取って棚に展示して売れるのを待つという賭けに出てもよいが、書店経営者が自殺的なわけはないので、そのようなことはあまりない。)そして売掛金の限度額は小売店の支払い能力による。Amazonにはrolling creditの必要はない。彼らは絶版になっていない本をあたかもすべて在庫しているかのように一覧に載せて、注文が確定したときに調達すればよい。これはうまい手だね。

前述のように、Bezosは中抜きするのに絶好だったので書籍販売を目標にした。顧客が商品を購入した後に出版社から直接買い入れることで、彼の会社はオーバヘッドを低減することができた。特に倉庫の空間を節約できた(高価な小売店舗の運営や販売店員の雇用のコストも考えなくていい)。このことが、普通の小売店と比べて大幅な割引率をもって、卸で買って小売で売ることを可能にした。

さて。これのどこが悪いというのだろうか?

まあ、これだけなら、このようにビジネスをすることに本質的に悪いところは何もない。しかしそうではないのだ。というわけで新しい言葉を2つ紹介しよう。

独占

特定の人や企業が特定の品物の単一の供給者である場合に生じる。独占は、代替となりうる財やサービスを生み出す経済的競争が欠如することが特徴とされる。

独占が顧客にとって最悪なのは、独占側が製品の品質や価格について気にかける必要がないからだ。彼らは逃げ場をなくしたあなたを好き勝手にする。

独占は消費者側にとっての問題だ。対照的に、それと対応する供給者側にとっての問題もあって、それは比較的知られていない。

買手独占

市場の形態の一つで、単一の買い手が多数の売り手と交渉する場合をさす。これは単一の売り手が多数の買い手と交渉する独占と同様に、不完全競争の一例である。

買手独占が供給業者にとって最悪なのは、独占している仲介者によって供給業者が構造的に利益を失うからだ。これは供給業者の破産につながりうる。そうなれば(買手独占を通じて)消費者が入手可能な財の幅は狭まり品質は下がる。

(経済におけるインフレとデフレにちょっと似ている。インフレは良くないし、その逆のデフレも良くない。どちらも別の意味で良くないのだ。同様に、独占と買手独占も両方とも良くない。)

そしてAmazonが邪悪なほどに天才的なのは、Amazonは書籍販売において、卸での独占と小売での買手独占の両方を同時に確立しようとしているらしいところにある。

略奪的価格設定のことはたぶんよく知っているだろう。大規模小売業者が小さな町に進出してきて、食料品店やスーパーマーケットを開く。豊富な品揃えとひっきりなしの販売促進を行う。卸価格と同じかそれを下回るダンピングもよくある。こうして地元の店から顧客を奪い、地元店は競争できずに潰れる。もちろん大規模小売業者はずっとダンピングを続けるわけにはいかないけれど、数百万ドルを費やしても地元の競合店を追い払ってしまえれば、その後は囲い込んだ市場で何年もかけて投資に見合った利益を引き出せばいい。(ところで、法は親切にも彼らがその店で損失を計上して税金を節約することを許している。しかしそれはケーキでいえば飾りの砂糖菓子でしかない。)

Amazonはこの略奪的な大手小売業者と同様の存在に、世界的なスケールでなりうる。そしてebookの分野ではその方向で順調に歩を進めているのだ。

2008年までは、出版においてebookは、存在しないも同然で、大手出版社から見れば売上高の1%以下しかない誤差のようなものだった。そう言って悪ければ、残りかすのようなものだった。しかし巨大メディアコングロマリットの子会社として、例の大手6社を経営する幹部たちは皆インターネットについてある指令を受けていた:すべてのebook販売について、DRMによる制限が義務となる。海賊行為によって紙版の本の売上が減ってはならないからだ。

(この恐怖はもちろん、2000年からの研究結果が示すとおり、間が抜けた標語だ。古き悪しき時代のNapsterユーザは、海賊行為をしない友人たちよりも多くの金額をCDに費やしていた。海賊行為が流行る本当の理由は、欲しいコンテントを簡単に適切な価格で手に入れる方法が提供されていないことだ。しかしもしあなたの上司が、映画スタジオのオーナーでもある70歳の億万長者で、米国映画協会の主張に耳を傾ける人物だったら、あなたの意見は通らない。DRMに反対を表明することは、複数の編集者からこの10年間に聞いたことだが、キャリアにとって致命的なことになりうる。)

しかし出版社はソフトウェア企業ではない。彼らはただ本を売りたいのだ。だから、DRMをebook販売店にアウトソースした。そこにはAmazonも含まれる。

Amazonには、市場占有率を得るだけのために、特価商品・赤字事業に数億ドルを投資してきた歴史がある。AMZNにとって、大手6社がebookのDRMに固執するのは追い風だ:AmazonはKindleプラットフォームを使えるものにするために巨額の投資をし、2010年までにebookの分野では85%に迫る市場占有率を得ている(当初の規模が小さかったとはいえ、年度ごとに100-200%というめまいのするような高成長を遂げている分野だ)。そして今や2012年となり、ebookは出版業の総売上のうち、今年末までに40%を、5年以内に60%を占めそうな見込みだ(Hachette UK CEOのTim Hely Hutchinsonによる)。5年間で1%未満から40%を超えるまでに成長した。まさに破壊的変化といえる!

さて、ebookの顧客のほとんどは、技術に詳しいわけではない。Kindle ebookのDRMを解除して他のリーダーで使うためにepubに変換することは可能ではあるが、簡単にはできない。(Kindleの使用許諾に反することは言うまでもない。なぜって、あなたはebookを所有していないのだから。近視眼的に抜け穴を塞ごうとするあまり、出版社はebookをソフトウェアのようにしようと試みた。何かの実際の所有権を買うのではなく、製品を利用するための限定されたライセンスを買うことしかできない。)そうして、報奨金付きのKindleリーダや無料のKindle iPhoneアプリをAmazonに押しつけられ、それを使って何冊も本を買ったので、顧客の大多数はプラットフォームにロックインされて抜け出せなくなった。別のプラットフォームに移りたい? それは難しいね。今までに買った本を全部失うことになる。他に持っていけないのだから。

愚かにもDRMに固執し、そして卸ベースでAmazonに売ったために、出版社は彼らの顧客に対する独占をAmazonに明け渡し、略奪的買手独占も後押しした。

Appleと大手出版6社に対する米国司法省の査問につながったエージェンシーモデルについてはコメントしない。単に、卸モデルで逃げきりたい出版社による必死のあがきと捉えるに留めよう。卸モデルは買手独占の現時点での当事者(Amazon)が供給業者から馬鹿げた値引きを引き出すことを許していた。エージェンシーモデルは単に本を30年前と同じやり方、iTunes app storeやAndroid Marketplaceでアプリケーションが販売されているのと同じやり方で売るということだ。固定価格のカルテルを確立するために談合しているような振る舞いを見せるのは賢いことではなかったが、そのような談合が本当にあったかどうかは裁判所がそう遠くないうちに判断することだ。

Jeff Bezosについて講釈をするつもりもない。ただこのことはよくよく注記しておきたい。彼はヘッジファンド出身で表面上はリバタリアンだ。彼が持つ背景のうちこういった側面は、私の心をざわつかせる。というのも、私の経験では、そういった人々は社会正義や思いやりや慈善に関心を持たない社会進化論のイデオロギーとともにあることが多いからだ。(リバタリアンが「破壊的」変化や「イノベーション」について話していたら、それはたいてい、「長期的な副作用がどんなものであれ手っ取り早く稼ぐ機会」のことを指している。利己的な御託や、市場中心のイデオロギーで物事を捉え抽象化する威勢のいい言葉に気をつけよう。)

ともあれ、覚えておいてほしい重要なことはこうだ:

ebookのDRMは死んだ。(死んでいないとしても、死刑囚監房にいて執行を待っている。)

Macmillanが司法省の持ち出した固定価格の裁判に勝とうが負けようが、たいしたことではない。大事なのは、顕現しつつあるAmazonの買手独占に対抗する大手6社のプランBは失敗したということだ(固定価格の戦場というくくりで、今のところは。はたして戦いであったかはさておき)。つまり彼らにはプランCが必要だということだ。そして唯一の有効なプランCは、Amazonが消費者に伸ばす死の手を振りほどくことであり、それはDRMを外すことだ。

大手出版社がDRMなしでebookを販売するように方向転換すれば、顧客がさまざまな手段・方法で本を買えるようになり、Kindle storeの塀で囲まれた庭園から抜け出せるようになる。彼らはDRMを海賊行為からの防御のように思っているが、海賊行為はさほど切迫した脅威とは言えない。2011年に48億ドルの利益(全世界の出版業を合わせたものよりも大きい)をあげている巨大な多国籍企業が彼らを「破壊的に変化」させると表明して、その筆頭幹部が最近「善意の門番すらイノベーションの妨げとなる」(ここでいう「イノベーション」とは「自分が利益をあげる機会」の隠語である)と言っていることに比べれば。

そして、既になされたDRMへの加担から手を引き、司法省による和議の条件を受け入れ、Amazonによる最恵国待遇から抜け出すのだ。商品をできる限り幅広く販売するために。

もしそうしなければ、彼らには破滅が待っている。そしてフィクションを読むのが好きな(あるいは書くのが好きな)私たちは皆、Amazonの企業城下町に住むしかなくなる。

Posted by Charlie Stross at 17:02 on April 14, 2012


訳者メモ:

この記事はTim O'Reillyさんの投稿で知った方も多いかと思います。USの事情はよく知らないのですが、一消費者としてDRMは不便なのでやめてもらえるとうれしいですね。ソーシャルDRMで充分だと思いますし、制限で縛るのではなく魅力で引きつけてほしいなあと思います。